ゲン担ぎに使われる、勝栗について
勝栗っていう言葉を、聞いたことあるでしょうか。
歴史に詳しかったり、よほどの栗好きでないと知らないという方も多いですが、「三献の儀」と呼ばれる戦勝祈願の儀式がありまして、 その時に用いられた肴(さかな)の一つとして、勝栗がありました。
諸説はありますが、一番古いとされている資料には室町時代からあったようで、戦国時代の頃には、まじないを嫌ったとされている織田信長も、 桶狭間の戦いの前にはこの儀式を行っていたそうです。
儀式では、まず打ちあわび、勝栗、昆布の3つを用意して、それぞれをつまんでは、酒を呑み、合戦に望んだようです。
打ちあわびで「打って」出て、勝栗で「勝ち」をあげ、昆布で「喜ぶ」を表しています。
ダジャレ…、しかも面白くない…、と思ってしまいそうですが、昔からあるゲン担ぎって、そういうの多いんです。
おせちなんてダジャレみたいなのばっかりですし。
勝栗(搗栗)は、当時は干した栗を臼で搗いた(ついた)ものを言ったそうですが、今では簡略化されて、ゲン担ぎの時に甘栗をそのまま用いています。
受験や選挙、大事な試合の前後など、ゲン担ぎの時には是非是非。
歴史好きの為の詳細
まず大将は、北側に用意された床几(しょうぎ→ちっちゃいイスです)に座り、南に向かう。
最初に、打ちあわびを口にし、酒を呑む(初献)
次に、勝栗(搗栗)を口にし、酒を呑む(二献)
最後に、昆布を口にし、酒を呑む(三献)
あわびは乾燥させ、平たく伸ばしたもの(鮑熨斗と同じ)を使い、三角形に切った細い方から口にする。これは「末広がり」を意味したそうです。
勝栗は、搗つ(かつ)とも書き、栗を殻のまま乾燥させ、臼で搗き、皮と渋皮を剥いたもの。
あわび、昆布は通常5切れずつ用意される。例えば3切れだと、「身切れ」と言われ、縁起が悪いとされました。
信長が桶狭間で〜の件ですが、信長公記にその記載はありませんが、(※)道家祖看記には、
馬に鞍置かせよ、湯漬け出せと仰せらる。
御膳昆布勝栗持ちて参り候。
即、きこし召し、床几に腰をかけ、小鼓取寄せ、東方に成り給い、
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、
一度生を得て、滅せぬ者のあるべきかと三度舞わせ給う。
とあります。一世一代の大勝負ですからね、大うつけ、と呼ばれていても、やっぱり怖かったのかもしれません。
※道家祖看記:信長に仕えたとされる、道家氏の道家祖看(道家尾張守の末子)が記したとされる。
主な参考文献:戦国の合戦(小和田哲男 著)
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